1億円返済の軌跡、奇跡?その1の続きを書こう。 とにもかくにも、1億を借りてしまった以上、返済をしていかないといけない。 当初は、両親だけで経営をしていけると考えていた。なぜなら、彼らはそれまでの約30年間経営をしてきたのだから。
でも、それは大きな勘違いだった。
バブル以前の30年と言うのは、日本の高度成長期で、正直だれでも、何でも上手くいく時代だった。 業者の海苔屋さんは、父と同世代で「寿司屋はこんなに儲かるのか、うちも息子は寿司屋にしないといけないと思った」と言っていたほどだ。(でも、最終的には「しなくて正解だった」と言っていたが)
要は、どんぶり勘定でも、金利が高くても問題がなかったわけだ。 しかし、バブル景気が崩壊し、景気が減退し、需要が減っていけば、しっかりと経営戦略を考えないとやっていけない。 いや、戦略まで行かなくてもいい。 せめて原理原則 と 借金一億の利息っていくら? で書いた内容を知っていればなんとかなるのだ。 でも、両親にはそれがなかった。(おそらく、私の両親だけでなく現在でも多くの経営者はその知識を持ち合わせていないだろう。)
返済を始めて2年くらいで父親はうつ病になってしまった。こんな大金の借金を背負ったことがなく、お金の管理が出来ないのだから当然だ。さらに、従業員の職人はわがままで、思うように店は回らない。。
やばい!! このままでは、倒産する、、、、、、、不安がよぎる。
私も上場企業を退職してこの道に入った以上、路頭に迷うのは何としても避けたい。 資金ショートしないように何とか、やりくりしながら、毎月70万くらいの返済を続けた。 給料がもらえない月も何度もあったし、ずっと倒産と隣合わせだったが気丈だった。 そんな我慢をしながら7年くらい返済を続けたが、、、、、、
また、ピンチがやってきた。 借金の額が1億から7000万くらいまでに減ったころに、銀行から”貸しはがし”されそうになった。 今は三菱UFJ銀行傘下になってしまった都市銀行から融資を受けていたが、再三にわたり早く返せと言ってきたのだ。
当時、我々が契約した金利は4.5%の固定金利だったが、景気の後退にともない、世間の貸出金利は低下していた。
そこで、返済額を減らすために、金利を下げられないか、銀行と交渉したが無理だった。 このままではまずい。
なんとか、返済を続ける方法はないか、と売上アップも考えていた。 でもそんな簡単に売上はあがらない。 あるいは、経費を下げる方法はないか、といつもアンテナを張り、色々なことを試したが、大きな効果があるものはない。
やはり、金利を下げることが一番手っ取り早くて効果があるため、細々と取引があった地銀に打診をしてみた。 すると、建物や土地の資産価値を考慮した結果、「担保価値あり」となり融資OKとなった。 このとき、金利3%で6500万円借入する契約をした。
地銀からの 6500万が都銀の口座に振り込まれ、即日、残金を返済した。 都銀でのやり取りは、気持ち良かった。
「今日、借金を全額、返済したい。」と私。
「本日の手続きはできない。明日になる」と窓口担当は言ったが、
「いや、1日1万円の利息が付くから、今日やってくれ。
御行が早く返してくれと 言ってきたのだから、こうやって調達をした。だから、今日やってくれ。」
と その日のうちに処理を完了した。 若干30歳くらいの若造に言われて悔しかったかもしれないが、こっちはその何倍も悔しい思いをしてきたのだ。 (都銀にとっては大したことないと思うが、急に返済をされたら、担当者は叱られるのだろうか? 地銀なら こんなこと もある。)
こうして、1億返済の大きな第1ステップは完了した。 今まで、年300万円近い利息が200万円に減り、かなり気分は楽になった。
とは言うものの、それまで45万位の元金返済と25万位の利息だったのを、 借り換えをしたことで55万の元金返済と15万の利息になっただけで トータルの返済額は変わらない。
経営としては決して楽になったわけではなかった。 しかしながら、返済のスピードは大幅にアップしたことは間違いない。